Kindleに対抗してかのiPad
そもそも、本というのは、紙質、インク、髪の香り、表紙、重み、、、、これら全てを取って「本」一冊となるのではないだろうか。最近は何もかもがそういう統合型情報端末へと収束しつつある。
しかし、そのように一つの末端デバイスに様々な機能を集約するとメリットが増大するのと引き替えにデメリットも増大する。
たとえば、携帯電話なんかは良い例だ。あんな小さな末端デバイスにどれだけの機能(付加価値)が搭載されているだろうか。たしかに、人々は「便利」というメリットを得た。しかし、何もかもを携帯電話へ集約していくと、例えば、全ての携帯電話が動かなくなる(もうすでにあり得ないのですが、2000年問題みたいな感じで)なんてことが起こったら、その末端デバイスによって支えられている情報レイヤーはすべてダウンしてしまう。
また、そもそも、人間という生き物は自らの五感を駆使して世の中を理解するのではないだろうか。そのような、視覚情報だけに頼った世界では、物事の本質を果たして理解できるのだろうか。
前に、のどの筋肉電位を測ることによって、口に出さなくても物を言えるという機器がテレビで紹介されてたんですよ。そこで、開発者が言うことには、
「これはあくまで非常時に使う物だ。人間は自らの手を駆使してここまで進化してきた。よって、このような物は本当は人間には不必要なのだ。そして、このような物は永遠に人間の間に広くは浸透しないだろう。」
そう、いかにパソコンやテレビ、電話という物が普及しようが、その操作の根本は自らの手と目。
3DTVなんかも良い例だ。家族みんなが3Dメガネをかけて団欒するなんて光景想像できるだろうか。私は想像したくない。たとえ、メガネなしでも、無理やり3Dに見せることに何の意味があるのか。テレビという物は情報を伝える一つの末端に過ぎない。その任務を果たせば十分ではないか。
すんません、これには電子書籍と3DTVへの個人的な対抗心も含まれてますww
だって、電子書籍なんて広まったら紙の本が少なくなるじゃないですか。紙の本はぱらぱら直感的にめくって、好きなぺージに素早く到達し、素早く所定の情報を得ることができる。この直感性こそ人間が生み出した大発明の一つですよ。
3DTVもなんか目が疲れませんか?番組全てがあんなのになったらテレビなんて見てられないよ。
そう、情報端末にはいかに付加価値が備わっているかよりも、いかに直感性を備えているかが大前提だ。
今回は厨二度がすごい高いねーww